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扶余

 扶余(プヨ)は、538年から660年まで6王123年にわたって百済王国の都でした。統一新羅、高麗時代には扶余県となり、李氏朝鮮時代には林川郡の下に扶余県、鴻山県、石城県が設置されました。

扶余(プヨ)地図

扶余(プヨ)地図

扶余の観光名所

国立扶余博物館:先史時代から大韓帝国末期までの各種の土器、瓦、貴金属装飾具、甕棺、石仏など、11000点を超える貴重な文化財を所蔵・展示しており、先人の生活や文化を知ることが出来ます。
 
扶蘇山:海抜94メートル、百済時代の扶蘇山城があった場所です。
 
定林寺址(チョンニムサ):百済時代の中心的寺院。国宝の五層石塔が今も残っています。発掘調査では、蓮池、中門、金堂、講堂、回廊などの伽藍が確認されています。
 
落花岩(ナッファム):百済が滅亡した660年、数多くの女官と百済の女性たちがこの岩頭から白馬江に身を投じたと伝えられています。美しい花が散る様子に例えて落花岩と呼ばれています。落花岩は百済女性の堅い貞節と高貴な忠誠の象徴となっています。
 
白馬江(ベンマガン):白馬江は錦白馬江の下流で、百済の栄枯盛衰の面影をとどめている河です。川幅が広く流れが緩やかで周辺と調和した優れた景観をなしています。皐蘭寺の船着場から水北亭までの2.5kmを往復する遊覧船が出ています。
 
皐蘭寺(コランサ):落花岩の下に位置し、百済王 愛飲の皐蘭楽水と寺裏の岩壁に自生する皐蘭草が有名です。
 
陵山里古墳群(ヌンサンリ コブングン):扶余から論山方面へ3km地点にあります。百済時代の王もしくは王族の墓と推定される古墳が7基あります。東下塚の四神壁画が有名です。古墳群入口の百済古墳模型展示館では、古墳の変遷と墓制を知ることが出来ます。
 

 

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