水原華城(スウォン ファソン)は京畿道水原市に築造された朝鮮時代(1392-1910)後期の城。水原城の築城は、朝鮮第22代正祖18年の1794年に着工し、1796年に完工し、父・荘獻世子に対する孝心と経済力を備えた新都市を建設しようと建てたものです。
水原華城城郭の全体の長さは5.52Kmで、ほかの城では見られない多彩で多くのの軍事施設があります。城壁の上には、体を隠して敵を監視して攻撃できるように女墻(胸壁)を置き、女墻にはいくつもの銃穴が空けてあります。東西南北四方向に城門がありますが、北門が長安門、南門は
八達門、東側の蒼龍門、西側には華西門があります。また水原城内には小川が通っていますが、小川と城壁がぶつかる所に水門が設置されている他、水を流すことのできる7つのアーチ型水門があり、その上に
華虹門という楼閣が建てられています。
華城は実学者と呼ばれる柳馨遠(1622-1673)と丁若(1762-1836)の意見を参考にして設計の基本指針としましたが、韓国の城郭の中で科学的に最も優れていると評価されており、特に城郭の築城に石材と煉瓦を併用したことと、矢と槍を防御し銃砲を撃つことができる構造が大変優れているとされています。
これまでの長い歳月の間、城郭がかなり損傷を受け、朝鮮戦争の動乱を通して多くの施設が破損していましたが、1975年から1979年までに八達門から東南角楼までの491m区間を除く一部が復元されています。水原華城は1963年1月に史跡第3号に指定され、1997年12月には昌徳宮とともにユネスコ世界文化遺産に登録されました。
水原・華城の地図
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