景福宮(キョンボックン)はソウルの五大宮の一つで、朝鮮王朝(1392-1910)の正宮として500年の歴史があります。
景福宮は15万坪に達する広い敷地に長方形に作られ、南側には正門である光化門、東側には建春門、西側には迎秋門、北側には神武門があります。宮内には勤政殿をはじめ、交泰殿、慈慶殿、慶会楼、香遠亭などの殿閣があります。景福宮の正殿である勤政殿は公式的な儀式を行い、官僚たちの朝礼が行われていたところです。
鐘路区臥龍洞にある昌徳宮(チャンドックン)は、公的空間である宮闕と王家の居所である宮、そして庭園である後苑(フウォン)に大きく分けられます。昌徳宮は朝鮮時代の宮闕建築の脈を引く唯一の宮で、王たちの憩いの場として使用された後苑は300年を超える巨木と池、東屋など造園施設が自然と調和を成した所です。
ソウル市鍾路区の昌慶宮(チャンギョングン)は、昌徳宮とともに朝鮮王朝(1392-1910)別宮のうちの一つ。1418年に世宗(1397-1450)が王位に就いた後、退いた太宗(1367-1422)が穏やかに余生を送れるようにと建てた寿康宮がその始まりです。昌慶宮は日帝植民時期(1910-1945)に昌慶苑に格下げされ、動物園と植物園のある遊園地になっていましたが、その後、動物園が果川に移り復元し1983年に本来の名前を取り戻したという経緯のあるところです。
ソウルの中心地に位置する徳寿宮(トクスグン)は、朝鮮時代・成宗(1469-1494)の兄である月山大君(1454-1488)の住まいだったところ。徳寿宮が宮殿としての顔を持つようになったのは光海君(1575-1641)が即位して1611年に「慶運宮」と名付けてからのことで、その後名前を「徳寿宮」と直したという経緯があります。
宗廟(チョンミョ)は朝鮮の歴代君主の位牌を奉って祭祀を行う所。1394年、太祖(1335-1408)・李成桂が朝鮮王朝(1392-1910)の建国とともに、新たな都、漢陽に景福宮と同時に建てた建築物で、その伝統的な荘厳な儀式である祭礼や祭礼楽など、長い伝統と慣習がそのまま保存される宗廟は世界文化遺産に登録されています。
王宮守門将交代式:李氏朝鮮時代、国王が住んでいた王宮には守門将庁が設置されていました、官職従六品にあたる守門将を始めとした「禁軍」が宮城一体の警備を担当していました。この「禁軍」の王宮守備の儀式を再現したイベントが「王宮守門将交代式」です。徳寿宮(トクスグン)大漢門(テハンムン)と景福宮(キョンボックン)光化門(クァンファムン)で行われています。
朝4時ごろから小売商の人々でごった返す南大門市場。規模こそは東大門市場に劣りますが、地元の主婦や観光客など、1日に50万人の人が行き来し、いつも活気にあふれる所です。食料品から子ども服、アクセサリー、日用雑貨、厨房用品などあらゆるものを取り扱っており、特に安くてお買い得なのは全体の7割を占める衣料品。2000年観光特区に指定されると共に超大型のショッピングモールもオープンし、昔ながらの在来市場から伝統と現代が共存するショッピングエリアに変貌を遂げつつあります。
南大門(ナムデムン):1398年完成のソウルに現存する最古の木造建築物。正式名称は、崇礼門。夜間はライトアップされてとても綺麗です。近くには南大門市場があります。
1905年に出来た東大門市場は現在ソウルでも有名な市場のうちのひとつ。特にファッションに関するビルが集まる衣類市場として広く知られており、10代の若者から全国から集まる小売業者まで24時間人の往来が絶えないエネルギッシュなエリアです。小売り/卸売り/スポーツ用品商店街の3つのエリアがあります。
東大門(トンデムン):1398年完成、1896年に改築。正式名称は、興崇礼之門。当時のソウル市内は、4つの大門と小門および城壁で囲まれていました。現在でも残っている大門は、東大門と南大門の2つです。この門は、他の大門と異なり半円形の外壁が築かれています。近くには東大門市場があります。
ソウル中区にある明洞(ミョンドン)は、韓国の代表的なショッピングスポットとして、服や靴、雑貨、化粧品などファッションに関するアイテムを扱う店が多いだけでなく、銀行や証券会社も数多く集まるエリア。低価格を売り物にする南大門や東大門とは異なり、韓国の人気ブランドの他、世界的にも有名なショップが立ち並び、質を追求しながらもリーズナブルな価格で買い物ができるスポットとして観光客にも人気です。
ソウル市龍山区にある梨泰院(イテウォン)は、ソウルの中でもちょっと特別なエリア。解放後、近くの米軍の駐屯基地の人々を相手に始めた小さな土産物屋が次第に増えていき、1988年ソウルオリンピックを契機に韓国を代表するショッピングタウンとして急成長。1990年代後半から日本、香港、中国、東南アジア、アフリカ、中東地域の観光客たちも訪れるようになり、米軍中心の町から世界的な町へと変貌を遂げ、1997年観光特区に指定されたという背景があるところです。
仁寺洞(インサドン)は朝鮮時代(1392-1910)、両班(ヤンバン)と呼ばれる有識階級や官僚たちの家が密集していた地域。仁寺洞は日本統治時代末より没落した両班の家から出された美術品などを売るための骨董品の商店ができ始めたのがそのはじまりで、その後陶磁器や絵画などの美術品を展示・販売する画廊や、それを買い求める人々で賑わう通りとなりました。
今ではそういった骨董品や美術品に混じって伝統的な雰囲気を楽しめるレストランや喫茶店、土産物屋が軒を連ね、ソウルを訪れる外国人観光客の観光スポットとなっています。
大学路(テハンノ)は以前、ソウル大学校文理大があったところを中心に造成された若者の町で、東崇洞と恵化洞にまたがっています。1980年代から演劇のホールが大学路に移り始め、文化の町として成長しました。その後、ライブカフェ、映画館、劇場はもちろん、カフェ、飲み屋などが集まり、複合的な文化空間として誕生しました。古くからある「パランセ(青い鳥)劇場」「ハクチョン小劇場」など、30余りのホールがこの一帯に集まっていて、韓国芸術の中心地として位置付けられています。