五台山(オデサン)国立公園は1975年に国立公園に指定されました。江原道洪川郡内面と平昌郡珍富面、道岩面にまたがっています。五台山は満月台、長嶺台、麒麟台、象三台、知工台の五台をさしてつけられた名前といわれます。
五台山は1563メートルの毘盧峰を主峰として南西に小台山、虎嶺峰、小桂芳山がそびえ、東に上王峰、頭老峰が連なる高さ1000mを超える峻嶺な名山です。この山が平らな地帯を囲むような地形を成しており、その間を北漢江の水流である五台川が深くて険しい谷を南に流れています。東台山と老人峰の間にあるチンゴゲは五台川の水流と連谷川との分水嶺になります。このチンゴゲは五台川・連谷川を経て東海岸地域につながるもう一つの交通路となっています。
五台山を代表する寺である月精寺は満月台(東台山)に上る旧暦の15日の月が特に明るいため月精寺と呼ばれます。この寺には有名な八角九層石塔(国宝48号)と石造菩薩座像 (宝物139号)がある。また月精寺の寂滅宝宮は慈蔵が釈迦真身舎利をまつった所です。月精寺内の木立ちに沿って東に5kmほど上がると五台山史庫址がありますが、ここには霊鑑寺が建っています。また五台山国立公園はわが国で一番大きい天然樹林があり、各種植物と野生動物が多い所です。主に毘盧峰一帯のカシワの群落、頭老峰から上王峰に至る間にはつつじ・ホタルブクロなどが有名で、動物ではイノシシ、ジャコウジカ、オシドリ、キツツキなどが棲息しています。
家の周りに黒竹が多く生えているので烏竹軒(オチュクホン)という名前がついているここは、申師任堂(1504〜1551)が暮らしたところで、申師任堂の子息である栗谷・李珥(朝鮮時代の学者・政治家)の生家です。
朝鮮(1392〜1910)の11代目の王である中宗(1506〜1544)の時に建てられたもので、韓国の住宅建築の中でも最も古い木造の建物に属しています。烏竹軒は、1963年に宝物第165号に指定され、子孫が代々管理しているところ。中には栗谷記念館、栗谷先生が生まれた夢竜室、栗谷先生を祭った位牌堂である文成祠や烏竹軒の入口である自警門、四柱門などがある他、定宗12年(1788年)に李珥の遺品である硯や撃蒙要訣(1577年、李珥が学問を始めたばかりの人を教えるために書いた本)を保管するために建てられた御製閣もあります。烏竹軒横に位置する江陵市立博物館は、江陵地域の先史時代の遺物など、さまざまな歴史的資料を所蔵しています。
烏竹軒は、5000ウォン紙幣の裏面のデザインに採用されています。
統一公園:1996年9月に魚網に引っ掛かり座礁した北朝鮮の潜水艦がこの場所で発見されました。潜水艦の北朝鮮兵士が上陸し、韓国軍と銃撃戦を行い双方に死者が出たニュースは世界に流れ衝撃を与えました。公園は2001年に開園し、そのときに座礁した北朝鮮潜水艦が公開展示されています。