芬皇寺(プンファンサ)は善徳女王(在位632〜647)が建てた寺で朝鮮時代に廃寺なったと推定されています。
元曉(617〜686/3/30)がここに留まって「華厳経疏」等の多くの本を書きました。元曉が死んだ後息子の薛聰は、元曉の遺骸と粘土で塑像を作り芬皇寺に安置しました。記録だけで伝わる塑像 は僧侶で学者の一然(1206〜1289)が三國遺事を書く時までは残っていたそうです。ここには画家 率居が描いた神画と呼ばれる観音菩薩像があり、新羅の仏像鋳造の大家である強古乃末が製作した薬師如来立像は壬辰倭乱の時に消失しました。また寺の下にある千手大悲壁画には 盲目の娘が歌を作って祈ると目が見えるようになったという話が伝わっています。それから護国の龍が住んでいたという井戸(三龍變魚井)がまだ残っています。井戸の外部は8角で内部は円形になっていて今も使われています。
現在 残っている芬皇寺 石塔(国宝30号)は安山岩をレンガのように積み重ねた塔で、本来は九層でしたが三層だけ残っています。一つ残った法堂 普光殿の薬師如来立像は朝鮮初期に作られたもので、銅36万斤を溶かして作ったという記録上にだけ残っていた薬師銅像の代わりに建てられました。
芬皇寺 石塔(国宝30号)
石塔の仁王像
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